ドライヤー火傷

いつも何気なく使っているヘアドライヤー、実を言えば、火花による火傷などの危害・リスキー情報が年間50〜70件寄せられています。

その背景には、禁止とされているものの、ついやってしまう誤った使い方があります。

ヘアドライヤーを使用する上での注意すべきポイントをご解説します。

ドライヤーで火傷しないように正しいドライヤーの使い方

太りたい女性がプロテインを飲むのは危険

3代栄養素の一つで、髪や皮膚、筋肉、骨などを作成しよう具材になります。

このところできた彼氏も本当はぽっちゃり体系な女子が好きみたいです。

太りたくても、太れないという困りごとを抱えている人は多々あるです。

でも、小さいころからガリガリで不健康なくらいに細い私としては、それが相当嫌でした。

それで泣いてしまった事もあるのですが、真剣で太りたいと考え、諸々調査してみました。

私も娘のころから「痩せてていいなー」とか「細ーい!うらやましい!」とよく言われてきました。

すると「プロテインでたやすく太れる!」という文章を発見!直ぐにプロテインを買って飲んでみたけど、ぜんぜん影響がないのですでした。

承知できなかったのでプロテインについて調査してみると、プロテインはタンパク質を多く含んでいる食品でした。

プロテインという英語は直訳するとタンパク質というニュアンスなのだとか。

現代人はダイエットに熱心だから、「痩せたいけど、痩せれない」という問題のほうが一般的ですが。

いつも性格を褒めてくれるし、優しくしてくれるけど、テレビでぽっちゃり体系のタレントが出ていると、「ぷにぷにしててかわいい」とよく言っています。

太りたい女性のために太れる情報サイト

子どもがでべそに…どうしたら

けれども、でべそのケースは臍輪が閉じず、へそが縮む過程でお腹の筋肉がくっつかず臍輪から腸が飛び出してしまいます。

赤ちゃんは、生まれてもうへその緒を切ると、徐々にへその緒が縮んでいきます。

一説には、分娩時のへその緒の切り方が悪いとでべそになるといわれてきましたが、これには確かな根拠はないそうです。

そのおへそが出たステータスが、でべそです。

赤ちゃんは腹筋と腹筋の間に臍輪(さいりん)という穴があいていますが、いつもはへその緒が取れると臍輪も小さくなっていきます。

言い換えると、おへその周囲の筋肉が未発達であるために起きる現象です。

でべそ手術の口コミ・費用・クリニック探し

探偵による浮気の調査って?

日本には私立探偵が案外ふんだんにいます。

その中でもよくあるのが、浮気質問です。

私立探偵というと、どんな業務をしているものだと思われるでしょうか?実際の私立探偵は、テレビドラマなどとは違って犯罪捜査は常識的しません。

探偵の浮気リサーチによって実のところにどこまで個人情報が暴露されるものなのか、今後解説いたします。

家出人探しや、ストーカー対策、盗聴器のリサーチなどを行っています。

探偵が真剣で浮気リサーチをすると、個人情報の大ところが暴露されます。

現在の探偵の主な業務は浮気質問ではないかと思われるくらい、浮気質問はメジャーです。

それほど多くの人が配偶者の浮気を疑っているという事だと一考すると、ちょっと複雑な感じもしますね。

ただ、実のところに浮気リサーチがどんな感じでして行われているかについてはあまり印象がない事が多々あるでしょう。

浮気質問とは、家族の相手方が浮気をしているのではないかと疑われる時に、相手を尾行するなどして浮気をしているか如何にかを調査して、浮気がある事が判明したら写真と詳細な報告書によって浮気の事実を明らかにする事です。

私がお願いしていた探偵オフィスは8割は浮気質問で、残りは人探し、盗聴器探し、ストーカーリサーチとの事。

配偶者の浮気を疑ってるなら、無料で見積もりしちゃいなYO!「浮気調査比較くん.com」

刺青を消すということ

具体的に如何なる危ういがあるのか見極めしてみましょう。

タトゥーは除去専門のクリニックでちゃんと治療を受けたとしても完璧に消すのは厄介なと言われています。

ましてや自らの独断で行えば卒なく除去できなかったり、全ての肌トラブルが表れる見込みがあります。

セルフで除去する方は、皮膚を焼いたり、化学薬品で溶かしたり、ナイフなどで削ったりした後、傷を治癒させる手段が取られているようです。

聞いただけでもリスキーがふんだんにありそうですよね。

刺青を消すなら、「タトゥー除去案内所」

知能の心理学

知能とは

知性、知力。その人が数字や図形をいじったり、言葉や文字を使ったり、いろいろな問題
を解決するためのもとになる知的な力です。
ただし、今日勉強して歴史の年号や数学の公式を覚えても、それで知能が高くなるわけで
はありません。
知能と知識や学力は同じではありません。
知能は、そういう勉強をしたり、作業をするときの土台となる知的な能力です。

知能テストと知能指数 IQ

小中高校で、知能テストを受けたことがありますか?知能テストを受けると知能指数とい
うのがでて、それで、頭が良いとか悪いとかって考えますよね。
身長計で身長をはかって、高いとか低いとか考えるように。
でも、本当は、知能テストと身長計はずいぶん違います。
まず、実をいうと知能とはなんなのかよくわかっていません。
身長がなんなのかよくわからないということはありません。
身長の測り方で議論になることはありません。
でも、知能については、色々な意見があり、色々な測り方があります。
たくさんの知能テストがあり、それぞれの方法で知能を測っています。
どのテストが一番正しいのかはもちろんわかりません。
また、何かを測るときに「誤差」はつきものです。
身長を測るときに、そっと背伸びをしたり、ちょっとひざをかがめれば、本当の身長は測
れません。
でも、身長判定のときに、そんなことをしても、きちんと見ていればすぐにわかります。
けれども、知能テストで測定するときにはわからないことも少なくありません。
朝、母親と喧嘩した、ふてくされてやる気がない緊張しすぎている、そんな状態でテスト
を受けても良い点数は出ません。
また、もし事前に似たような問題を手に入れて練習してしまうと実際の知能以上にいい点
数がとれることもあります。
(知能テストを作るときには、練習しても点数があがらないような工夫をするのですが、
それでも一生懸命練習されてしまうと、やはり点数は上がってしまうようです)
さて、それでは、理想的状態で測定した場合はどうでしょう。
身長をきちんと測定すれば5センチも誤差がでることはないでしょう。
でも5ミリくらいの誤差だったら髪型等によってあるかもしれません。
私たちは、身長についても身長計についてもよく知っているので、そういうことは常識的
にわかります。
ところが、知能指数の話になると、その常識が働かなくなってしまいます。
隣の子の知能指数が103、自分の子の知能指数は98「ああ、自分の子は頭が悪い」と
思ってしまいます。
でも、もしかしたら知能テストを受けるときに、体調が悪かったのかもしれません。
でも、もしかしたら知能テストを受けるときに、体調が悪かったのかもしれません。
気分が乗らなかったのかもしれません。
そんなことはなくて、完全に理想的な状態で知能テストを受けたとしましょう。
体調漫然、やる気は満々、適度な緊張とリラックスで100%力が出し切れたとしましょ
う。
仮にそうだとしても誤差はあります。
理想的状態でも知能指数でプラスマイナス5くらいの誤差はあるといわれています。
知能テストは、身長計ほど正確な測定道具ではないのです。
だから、わずかな知能指数の差を気にしすぎてはいけません。
知能指数が103の子も98の子も、どちらも「平均的な知能:と考えるのが正しい考え
方です。
ある心理学の先生が、新しい知能テストを作るときに、上のような考え方に従って、細か
い知能指数が出ない知能テストを作りました。
知能のレベルを中の上とが上の下といった具合に表すテストです。
ところが、出版してしばらくしてから、出版社から連絡があったそうです。
「先生、今度の知能テストは売れません。やっぱり知能指数が細かく出るテストにして下
さい」
知能テストの誤差を考えると、そんなに細かく知能指数を出してもあまり意味のないこと
も多いのですが、でも細かい数字が出る法が正確な知能テストのような気がしてしまうよ
うです。
(知能テストや知能指数があてにならないというのではありません。ただ、何を測るにし
ても、必ず誤差はつきものだということです。)

知能テストとスピードと老化(高齢者の知能)

私たちがよく体験する知能テストは、制限時間があり、スピードを競うものです。
たとえば、1分間にいくつ問題がとけるかが問われます。
このような知能テストは、だいたい中学生か高校生ぐらいのときは一番点数が高くなりま
す。
高齢になるにしたがって、どんどん点数は下がります。
それでは20歳のひとより50歳の人の方が頭が悪いのでしょうか。
会社の社長や、野球の監督は50歳のベテランより20歳の若者にやらせた方がよいので
しょうか。
もちろん、そんなことはありません。
たしかに、スピードを競ったり、単純な暗記力などは、高齢になると衰えます。
しかし、時間をかけて、高度な思考力を使うような知恵ともいえるような知能(結晶性知
能)は、年齢があがっても、下がるどころか、どんどん向上していくのです。
高齢になっても、現役の政治家や、経営者や芸術家などは、やはりすぐれた知的能力を発
揮しています。
ただし、脳の病気等になってしまって、知能が下がることはります。
でも、それは高齢者に限ったことではありません。
それでも、高齢になって頭が悪くなったように感じられる人はいるでしょう。
しかし、それは、高齢になって知能がさがったのではなく、たいていの場合、やる気がな
くなったり、環境が悪くなったせいです。
たとえ若い人であっても、チャレンジ精神を失い、新しいことへのやる気が下がり、新聞
も読まないで、変化のない短調な環境に10年もいたら、それは、ボーとした人間になっ
てしまうでしょう。
たとえ、高齢になっても、脳の病気にならず、やる気を失わず、変化のある豊かな環境に
いれば、たとえスピードは落ちても、知能全体が下がることはありません。

知能指数の高さは頭の良さ?(知能の構造)

1.わたしたちの生活全般にわたる「知能」があるという意見もあります。そうすると、
知能指数の高い人は、頭の良い人といえるかもしれません。
2.しかし、全般的な知能はあっても、そのうえに、計算をする知能とか、言葉を使う知
能とか、色々な分野ごとの知能があるという意見もあります。
そうすると、全般的な知能指数の高さだけでは、その人の知的な能力はわからないし、
ある人は計算が得意、ある人は文章を書くのが得意、といったように人によって得意
不得意の分野があるという人もいます。
3.さらに、もっと知能は細かく分かれているという人もいます。全般的な知能などは存
在していない、さまざまな問題や作業に関する知能があるという考え方です。
この考え方では、全般的な知能指数の高さだけでは、その人の頭の良さはまったくわ
からないことになります。
知能指数の高い人とは、単に、知能テストのようなパズルやゲームに強い人とも言え
ます。
上の3つの考え方のどれが正しいのかはわかりません。
ところで、ベテランのウエイターは誰が何を注文したかをきちんと覚えています。
将棋のプロは、将棋の駒がどういうふうに動いていたかを実に良く覚えています。
このように、様々な職業や趣味の分野で、すばらしい記憶力や有能さを表す人たちはたく
さんいます。
それでは、このような有能な人の知能指数は、みんな高いかというと、必ずしもそうとは
限りません。
ある職業で、抜群の能力を示す人でも、全般的な知能指数を測ると平均的ということがあ
ります。
ある分野ですばらしい記憶力を示す人の、一般的な記憶力を測定すると、平均的であるこ
とも珍しくありません。
もしかしたら、全般的能力は平均的でも、その職業や作業に関する知能がとても高いのか
もしれません。
もしかしたら、「その職業に関する知能」などは存在していなくても、その仕事や趣味が大
好きで、熱心にやっていくなかで、能力が十分に発揮されているのかもしれません。
アインシュタインは、様々な面の知能が高い人だと思いますが、それでは、彼がどんな職
業についても有能な職業人になれたかというと、そうはいかなかったでしょう。
・知能を活かすために(EQ)
ある知的障碍児たちと一日すごしたときです。
その中で、一番きちんとあいさつができ、にこやかに周りの人たちと上手くできる女の子
がいました。
ところが、あとになって、その子の知能指数が一番低いことを知りました。
その子は、計算や字形や言葉などに関する知能は確かに低かったのです。
でも、その子には、高い「社会性」がありました。
知能が多少低くても、社会性が高ければ社会の中で生きていけることはあるでしょうし、
逆に知能が高くて学校でどんなに優秀でも、周りの人たちと上手くやっていく社会性がな
ければ、せっかくの高い知能を活かすことができません。
最近「EQ」というのが、ちょっとしたブームです。
今までの知能指数ではなく、自分の気持ちに素直になったり、我慢したり、人の気持ちに
共感できたり、協調できたりする能力のことです。
「心の知性」「情動指数」などとも呼ばれます。
この EQ の研究者によると、今までの知能指数よりも EQ の高さの方が社会で成功するた
めには必要だと言っています。
また以前から、言葉や計算に関する知能だけではなく、「社会的知能」が大切だという意見
もありました。
EQ や社会的知能を含め、その人の性格や、情緒的な面によって、知能が生かされることも
生かされないこともあるでしょう。

まとめ

人によって肉体的能力に差があるように、知的な能力(知能)にも差はあると思います。
けれども、一回か二回の知能テストの結果だけで、全てを判断してしまうのは間違いです。。
測定には誤差があります。
また、まったく違う種類の知能テストをしたら、違う結果がでるかもしれません。
仮に知能指数は特別高くなくても、ある仕事や趣味の世界で素晴らしい能力を示せるかも
しれません。
私たちの日常生活は、知能だけで決まることはありません。
その人の性格や態度なども含めた、その人全体の力が大切なのです。

性格心理学

性格とは

私たちはケース・バイ・ケースで、いろいろな行動や態度をとりますが、それでも、その
人それぞれにパターンがあります。
ある人を特徴づけている持続した行動パターンを、性格(パーソナリティ)といいます。

性格はかわるか

生活は、生まれつきの部分と、その後の環境によって作られる部分があります。
体を考えても同じで、生まれつきの体質があり、そのうえに、長年の生活の結果できた体
があります。
性格の中の生まれつきの部分を「気質」といいます。
そのうえに環境によって「狭い意味での性格」ができあがります。
その上に、さらにその社会によって作られた「社会的性格」があり、もっと上に現在の役
割に応じた「役割性格」があります。
このしたの部分ほど変わりにくく、上の部分ほど変わりやすいのです。

気質

ドイツ人のクレッチマーはその人の体格に応じて、人々の気質を3つに分類しました。

1.ふっくら型の「そううつ気質」

ふっくら、ぽっちゃりした体型の人は「そううつ気質」です。
基本的に社交的で温かく、親切です。
明るくて活発で、ユーモアの精神があります。
また、感情的な部分があるので、時には激しく怒ったり、泣いたりすることもあります。

2.細長型の「分裂気質」

細い体型の人は「分裂気質」です
基本的にきまじめで、静かで、あまり社交的ではありません。
変わっていると言われることもあるかもしれません。
自然や読書を楽しみます。神経質な部分もありますが、お人よしで温和な部分もあります。、

3.がっしり型の「粘着気質」

筋肉や骨のしっかりしたがっしり型の人は「粘着気質」です。
几帳面で、秩序を好み、物事に熱中します。
堅いとか、まわりくどいといわれるかもしれません。物事に夢中になれる人です。
実際には、この中間型もあるでしょう。
気質の名前に、分裂とかそううつとかあると、変に感じる人もいるでしょうが、あまり気
にしないでください。
気質は生まれつきの部分が大きく、変わりにくいものです。
しかし、活動的なタイプといっても、積極的で行動力のある性格の人になるか、ただのそ
そっかしいお調子者になるかはその人次第です。
行動する前に良く考えるタイプといっても優柔不断で頼りない人になるか、思慮深い頼り
がいのある性格の人になるかは、その人次第なのです。

・環境と性格(子育て、親子関係と子どもの性格

その気質の上に環境によって性格が作られます。
子どもにとって一番大きな環境は親です。

○親が子どもを「支配」しようとしすぎると、いうことをよく聞く子にはなっても、自発
性の乏しい性格の子になってしまいます。
○逆に親が子どもの言うとおりに「服従」してしまうと、無責任で乱暴な性格の子なりま

○親が子どもを「拒否」してしまうと、劣等感の強い性格の子や反社会的な子になってし
まいます
○逆に子どもを「保護」しすぎると、情緒的には安定した性格の子にはなりますが、弱い
子になってしまいます。

それでは、どんな親がよいのかといえば、バランスのとれた親です。
必要に応じて、時には子供に命令を出し(支配)、時には子供のおねだりを聞き(服従)、
時には突き放し(拒否)、時には包み込む(保護)。
基本的には、子供に対する愛情がもちろん必要ですが、そのうえで、バランスのとれた子
育てが必要になるわけです。

社会的性格

男と女はどちらが泣き虫でしょうか?女性でしょうか。
そうだとしたら、それは現代の日本社会が作り上げた社会的性格の1つです。
日本でも、平安時代の貴族の男たちはよく涙を流したそうです。
自然や芸術に感動して、はらはらと涙を流すのです。
そういう場面で涙がでないと、風流さのわからないダメな男にされてしまいます。
一方、女たちはよく気絶しました。
西洋の中世のお姫様も同じですね。ちょっとびっくりすると、「あれえ~!」なんて言って
ひっくり返るわけです。
そうしないと女らしくないというわけです。
日本では、後に武士道が広まって、男はなくべきではないという社会ができあがりました。
なくことに関する男女の違いは、社会が作ったといえるでしょう。
社会によってつくられ、その社会の中で多くの人が持っている行動パターンを、社会邸 k
性格といいます。
同じ人間でも日本にいれば日本人らしく、アメリカで生活すればアメリカ人のように行動
するのです。
性格のこの部分は、時代や国が変わり社会が変われば、変化しやすい部分です。

役割性格

女子高生のときは、女子高生らしく振舞います。
そして、その子達の中で、大学に行った子たちは、女子学生らしく、就職した人は社会人
らしくなります。
結婚すれば主婦らしくなりますし、子供が生まれれば母親らしくなります。
お巡りさんは、制服を着ている間はお巡りさんらしくなるでしょう。
私たちは、人生の中で、いろいろな役割をこなします。
同じ人でも、母親の前では子供として振る舞い、後輩の前では先輩らしく振舞います。
このような役割に応じたふるまいや考え方を「役割性格」といいます。
役割性格は、その役割が変われば、それに応じて変化していきます。

性格は変えられますか?

よく聞かれる質問です。答えは YES です。
あなたが、自分の性格は変えられると信じるならば、性格は変えられます。
ただ、自分の性格を嫌わないでください。
今の性格ではダメだ、何とか変えなくてはダメだ、、そんな風には思わないでください。
あなたは今のままでも OK です。
心や体に部分的な欠点や傷があっても、それを含めて、あなたはかけがえのない存在です。
自分はダメだから性格を変えようと思うのではなく、自分は勝ちのあるすばらしい人間だ、
だからもっとよくなろうと思ってください。
そう思えれば、あなたはもっと素敵なあなたになれるはずです。

心の発達3

若い成年期

18~25歳 親密さと孤独、恋愛心理、結婚の心理
成年期に自分自身を発見した(アイデンティティを確立した)後は、他の人間との深い関
係を持つ段階です。
友情や恋愛関係などの親密な人間関係を作っていきます。
男である自分、女である自分を肯定的に受け入れることができれば、次は、異性を愛し、
結婚する心理的能力を身に着けます。
恋愛心理学的には、恋愛のような「親密さ」とは(つまり恋愛とは)
「自分の何かを失うのではないかという恐れなしに、自分のアイデンティティとほかのだ
れかのアイデンティティとを融合する能力」のことです。
恋人関係を続けるために自分らしさを隠したり、捨てたりするのは、本当の恋愛ではあり
ません。
自分は、このヘアースタイルが好きだけど、彼(彼女)がいうので、無理にヘアースタイ
ルを変える。自分は今の仕事が好きだけど、彼(彼女)がいうので、仕事を変える、仕事
を辞める。
これでは何か不安や不満が心に残ります。
本当は、セックスしたくないのに「俺のことが好きならいいだろ」などと言われて、不本
意に相手の要求に応じるのも同じです。
相手に合わせてはいけないのではありません。
何かを変えるにしても、相手に言われたから、そうしないと相手に好かれないからではな
くて、そうすることが、自分の詩わせだと感じて自由な気持ちで自律的に、行動すること
が必要なのです。
結婚はもちろんこんな恋愛(親密性)に基づくものです。
ただし、結婚しなくてはならないというわけではありません。
発達段階として、結婚できる心理的能力が必要なのです。
私がジョギングをしてもしなくても私の自由です。
でも「走らない」のではなく、「走れない」のだとしたら、走れるように休息や治療が必要
でしょう。
結婚も同じです。
出会いのチャンスや経済的問題などとは別の問題として、誰かを愛し、毛混ですることが
できる段階まで心が発達するわけです。
結果として実際に結婚するかどうかはここでは問題にしていません。
このような「親密さ」を作らないのではなく、作れない場合には「孤独」になってしまい
ます。
親友や恋人を作るのは、リクスを伴います。
傷つくかもしれないし、恥をかくかもしれない。努力も必要です。
心が弱っているときには、孤独の方がよいと感じるときもあるかもしれません。
しかし、この親密さへの恐れから出る孤独を乗り越えて、人を愛し、親密な関係を作るこ
とが、この発達段階の目標です。
結婚についてのマインド等については詳しくは「幸せな結婚生活を手に入れる塾」(別リン
ク)をご参照ください。

成年期

25~50、60歳頃まで
生殖性と停滞、育てる喜び
「40にして惑わず」なんて言葉がありますが、この時期は、社会のなア k の安定した自
分の居場所を見つける時期です。
ただ、安定とは言葉を変えると「停滞」にもなります。
不安定だったが夢と可能性にあふれていた若い時期は過ぎ、自分の将来が見えてしまいま
す。
うっかりすると、希望のない中年になってしまうわけです。
しかし、何かを育てる喜びを見つけられた人は違います。
生殖性とは、ぞイブンの子供を産み育てることだけではなくて、子供がいなくても、後輩
や部下や会社や地域社会や芸術作品や、なんでも、次の世代へつながるものを育てること
です。
自分にだけ目を向けるのではなく、他者に関心を向け、世話をし、会社の発展や芸術の発
展に貢献する。
そしてそれを通して、よりよい社会づくりの手伝いをしていると感じられる人は、停滞っ
を脳裏超えて生殖性(生み育てる)喜びを身に着けることができるのです。

高齢期(円熟期)

自我の統合と絶望 死の準備
いくら高齢者が元気になったとはいえ、人はいつか老いて、そして死んでいきます。
もう一度人生をやり直すには、あまりにも時間がありません。
一日生きたということは、一日死に近づいたということです。
そう考えると、ただ絶望するしかないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。これまでの人生のハードルを乗り越えてきた人たちは、字
かの統合を見ることができます。
「自分には欠点もある、人生の中でいろいろ失敗もあった、しかし、私の人生は素晴らし
い人生だった」
こうして、絶望の中の死ではなく、輝く光に包まれるような死を迎えることができるので
す。

心の発達2

青年期の心理

この時期は「自分さがし」の時期です。
自分はどんな人間のか。どんな性格なのか。何をやりたいのか。どんな職業につきたいの
か(そのためにはどんな学校に進学するのか)
そして自分はいったい誰なのか。
進学や就職で悩まない人は、ほとんどいないでしょう。
また青年期の人たちは、性格テストが大好きな人が多いようです。
自分が誰なのかを知りことを自我同一性(アイデンティティ)を確立するといいます。
自分は、他の誰でもない、まぎれもなくユニークな自分自身であり、現在の自分が何者で
あるか、将来何でありたいかを自覚すること。
つまり自分を発見することがアイデンティティの確立です。
自分はいったい誰なのかという悩みは、経験したことのある人にとっては、とてもよく共
感できる深刻な悩みです。
しかし、体験がない人にとっては、具体的な進学や就職の悩みは理解できても、自分はな
んなのかなどという悩みなど全く理解できないかもしれません。
自分探しは、ただ自分のことを考える作業ではありません。そんなふうに自分を探せば探
すほど自分のことがわからなくなるでしょう。
そんな自分探しはたいていは失敗します。
若者の自分探しは活動することです。
勉強や部活や恋や遊びやけんかや、いろんなことを体験しながら、自分自身を見つけてい
くのです。
自分を発見するといっても、自分は役立たずのダメな人間だと感じてしまうとしたら、そ
れはアイデンティティの確立とは呼びません。
アイデンティティとは、社会の関わりの中で身に着ける自分の役割、自分自身の価値につ
いての確信だからです。
人間は誰でも長所と短所がありますが、たとえどんな欠点があっても、それでも自分は勝
ちのある人間だという自尊感情(セルフ・エスティーム)を持つことが、アイデンティテ
ィの確立だということができるでしょう。

モラトリアム

アイデンティティの確立を先延ばしすることを心理的モラトリアムといいます。
こういう人たちをモラトリアム人間ということもあります。
モラトリアム人間などというと、あまりよくない意味で使われることがあるようですが、
この考えを最初に述べたエリクソンは悪い意味では使ってません。
社会が成熟し、豊かになったからこそ、青年期(または学生時代)が長くなり、人生の重
大な決定をする前に、いろいろと考えたり、試したりすることができるのです。
その結果、より良いアイデンティティの確立ができれば、それは良いことです。
アイデンティティの確立とは、別の言葉でいえば、色々な可能性を切り捨てることともい
えます。
たとえば、幼稚園に行っている私の子供たちは大きくなったら、うどん屋さんになりたい、
正義の味方になりたい、宇宙飛行士になりたい、サンタクロースになりたいといろいろな
ことを言っています。
何にでもなれると思っているのです。
これは子供としてごく普通のことでありよいことです。
高校生でも、声優になりたい、漫画家になりたい、看護婦になりたい、プロ野球選手にな
りたい、弁護士になりたい、医者になりたいといろいろなことを思うでしょう。
夢を持ち、大きな可能性を信じることは素晴らしいことです。
でも、小さな子供のように自分はなんにでもなれると単純に信じることはできません。
なりたい職業全部につくことはできません。
どれかをあきらめ、どれかを切り捨て、自分の道を選ばなくてはなりません。
結婚相手を選択するのも同じです。
アイデンティティの確立とは、時には、ほかの可能性を切り捨てることなので、それはそ
れでとても辛い作業になるのです。
だからアイデンティティの確立を先延ばしにするモラトリアムがあるのです。
昔の社会なら、とっくに社会の一員として、責任を負わなくてはならない年齢になっても、
もう少し準備期間を長くしようというわけです。

現代モラトリアムの問題点

モラトリアム自体は悪いわけではないのですが、現代のモラトリアムは、昔とは質が変わ
ってきたようです。
昔のモラトリアム人間たちは、強い半人前識を持っていました。
そして一生懸命努力して、早く一人前になりたいと思っていました。
自分はまだ、見習いだが早く親方のような立派な親方になりたいとか、早く社会に出たい
とか思っていたわけです。
また、修行の期間や学校に入ることを認めてくれた親や社会に対して、申し訳ないという
思いと、感謝の思いを持っていました。
ところが、現代のモラトリアム人間たちは、自分の今の生活を当然だと思っています。
親から仕送りを受けることを申し訳ないとは思わず、当たり前だと思うのです。
親からの仕送りが少し遅れただけで、親が当然の義務を果たさなかったと怒る学生もいる
ことでしょう。
また、半人前だという意識がありません。
汗水たらして働いている、サラリーマンや主婦をみたときに、なんてくだらない意味のな
い生き方だ、自分の今の生き方の方がずっとすばらしいと思ってしまいます。
だから早く一人前になって社会にでようとは思わず、いつまでも親の世話になりたい、で
きるならずっと学生でいたいと考える青年もいるのです。
昔の青年と比べて、今の青年の方が何もかも悪いなどとは決して思わないのですが、せっ
かく与えられた貴重なモラトリアム時代を生かせない人たちは少なくないかもしれません。

心の発達:発達心理学1

赤ちゃんの心理(不信感と信頼感)

人間の赤ちゃんは、馬や猿に比べると、とても無力です。

歩くまでに1年もかかります。けれど何も感じていないわけではありません。
むしろ、生まれたときからとても敏感な心を持っています。
生後2、3日の赤ちゃんでも、単純な絵よりも人間の顔の絵を好んできます。
また、他の音よりも、人間の声に耳を傾けます。
人は、生まれてすぐに、人を求めているのです。
でも、お母さんの温かなお腹の中で何の不自由もなく生きてきた赤ちゃんにとって、外の
世界は楽な世界ではありません。
自分の周りにほかの人間がいても、自分を助けてはくれないだろうという不信感が生まれ
そうになります。]

その不信感というハードルを乗り越えて、人間への信頼感を持たなくてはなりません。
この時期の基本的な信頼感が、将来の人間関係の土台になります。
私たちは、基本的に人を信頼できるからこそ、友人や同僚や家族とうまくやっていくこと
ができるのです。
基本的信頼感を育てるためには、母親(または赤ちゃんの面倒を見る特定のだれか)の愛
情が必要です。
普通、赤ちゃんは、何をしてもゆるされます。
おしっこやウンチをもらしても怒られないし、どんなに泣いても泣き虫だなんて非難され
ません。
何にもできなくても、バカにされるどころか、深い深い愛情で包み込まれます。
この愛の中で、人生への希望と、人への基本的信頼感とが育つのです。

幼稚園前 1歳半から3,4歳(恥と自律)

赤ちゃんを卒業すると、体を自由に動かすこともでき、自分の自律的な意志を持って活動
できます。
親もしつけを始めようとします。そのはじめがトイレット・トレーニングです。
今までは、親に言われるままにしていた赤ちゃんがなんでも自分でやりたがります。
もちろん、口が達者になってくる割には、まだまだ上手にはできず、失敗したり、怒られ
たりすることもあるでしょう。
そこで恥を感じたり、自分の能力を疑ったりします。
けれども、このハードルを乗り越えて、自律する心を持たなくてはなりません。
子供が上手にできないからといって、子どもにやらせなかったり、叱りつけたりしすぎる
と、このハードルを越えることができません。
子どものチャレンジ精神を尊重して、自律のこころを育てましょう。
子育てに関する詳しいサイトは「新しい子育て入門書」(別リンクサイト)が詳しいです。

幼稚園のころ 3、4歳から5,6歳(罪悪感と積極性)

子どもたちの遊びは、どんどん複雑になります。
目標を達成するために計画を立て、達成を目指します。
しかし、大人の目にはそれがいたずらに見えるときがあります。
起こられて、罪悪感を感じることもあるでしょう。
もちろん、常識的にみて危険すぎることなどは、やめさせなくてはならないでしょう。
けれども、思い出して下さい。がらくたを集めて何かを作ったり、大人の知らないところ
に秘密基地を作ったり、どんなに楽しかったか。
このような遊びを共通して、子どもたちは成長します。
自発的に行動した結果、怒られて罪悪感を持つこともあるけれど、それを乗り越えて、目
的を立て、積極的にいきることを遊びを通して学ぶのです。

小学校から思春期まで(劣等感と生産の喜び)

小学校に入るころの都市になると、生活に必要なことを学び始めます。
文化によっては、弓矢の使い方だったりするのですが、私たちの社会では、読み書きや計
算です。
これを勉強することはとても大切です。
でも気をつけなくてはなりません。
何かを勉強し始め、練習し始めると、どうしても理解の早い子、遅い子が出てきます。
劣等感を持つ子が出てしまうのです。
確かに、知識や技術を身に着けること大切です。でも劣等感を持たせないことはもっと大
切です。
字を読むことが人よりも少し下手でも、毒所の楽しさを学ぶことができれば、その人は本
を読み続けるでしょう。
反対に、平均的な成績でも、数学は苦手だという劣等感を持ってしまえば、学校を卒業し
た後で自発的に勉強することはほとんどないでしょう。
ある小学2年生の女の子と話をしているときです。その子は言いました。
「私はバカだから」
私は、これを聞いて無性に腹が立ちました。いったい、誰が、この子に「お前はバカだ」
と教え込んだのだろう。
もし、学校や子どもに劣等感を刻み込むところだったら、そんなところにはいかないほう
がいいくらいです。
教師にとって、子供に劣等感を持たせない技法を知っていることが、とても大切なことだ
と思います。
子どもたちは、この時期に劣等感を乗り越えて、何かを作り出す喜びを知るのです。
☆劣等感を持たせないこと。そして、しっかり勉強し、たっぷり遊び、学ぶ喜び、作り出
す楽しさを身に着けることです。